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徒然なるままにひぐらし。現在、不定期運行中。本来のジャンルはアニメ・鉄道なのだが。
 
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「ひぐらしのなく頃に」オヤシロさまドットコム オヤシロさまドットコム─テレビアニメ「ひぐらしのなく頃に解」公式サイト
タイトルはまたまたホッテントリメーカーから。

さてさて、前回の最後にオタクの領域にうかつに踏み入れてしまったために・・・と言う話をちらっとしましたが、今回はその具体例。

私はトンデモ本の世界シリーズを読んでいるのですが、特に笑えるのがサブカルチャー系。
先日友人が読んでいた「怪獣の名はなぜガギグゲゴなのか」が、書評になってておもしろかった。
引きつけられるタイトルで、私もそういえば、と思ってしまったタイトルでもあります。
しかしながら、山本弘氏は『人気怪獣の名前には必ず濁音が入っている』と言うオビに対して、反論する。『モスラは!?』と。
ごめんよ、モスラ。全然気がつかなかった。これでも弟が小さい頃怪獣好きだったせいで、メジャーなところは一応知っているんですけれど。
それでですね、山本氏が挙げていく例が本当におもしろい。特撮怪獣と言えばツインテールぐらいしか知らない(ジョークです、つまらないですよねぇ)私としては、そんなの知っているわけがないと言うものばかり。
私はガンダムオタク所謂ガンオタではないのですが、MSの名前とかよく出てくるものですねぇ。
まあ、本を書く際の下調べをきっちりやっているはずですし、私の友人にも聞けば、すらすら出てきそうではあります。(私も分野と聞き方によれば、すらすら答えられるものもありますし)
ところが、「怪獣(以下略)」の著者・黒川伊保子氏はご存じないようで、見事に撃破されております。たとえ知らなくても、本を書く上での下調べは最重要事項だと思うのですけれどね。

鉄道ファンとして痛快だったのが、同じ本の中の、松本清張を取り上げた部分。

「漫画やアニメ、特撮やSFの世界で『オタク』と呼ばれる存在が立ち現れるよりもはるかに昔、はるかに先行して存在した原初オタクがあった。アマチュア無線と鉄道愛好家だ。鉄道愛好家、またの名『鉄っちゃん』、あるいは『鉄』。」(P65)

起源が古いと言われると、鼻が高くなるのは何ででしょうね。鉄ちゃんは戦前からいるのだよ。アニメオタクと違うのだ、アニメオタクとは。ふっふっふ。(自分の三分の一を否定してどうする)
世迷い言は置いておいてですね、さらっと結論を言ってしまうと、列車番号というこの業界では基礎知識レベルのことで、松本清張は敗退します。(他にも補強材料はあります)

本当に、オタクというのはかくも恐ろしいものであります。著名人であろうが、そのテリトリーにうかつに踏み込むと撃破されてしまうわけです。
先の記事で言ったように、本来のオタクというのは偏執的な一面も持っているわけで、下手なことをするとやぶ蛇になりかねないところもあります。個人的に言えば、火がついたオタクほど怖いものはないと思います。愛するものを守るため(と言えばなんだかロマンチックですが)、目覚めさせたら恐ろしいことになりそうです。
現に、まだまだ真価を発揮するほどではありませんが、児ポ法改正などの運動にも反対の声が上がっています。少し考えたのですが、比例区ならオタクへの好感度を上げることによって、議席獲得もできそうかな、と思ったりしてます。

(特に、政治家や著名人の方々)オタクのしっぽを踏むと、大変なことになりますよ。


参考・引用:トンデモ本の世界U/と学会・著/楽工社/2007
タイトルはまたホッテントリメーカーhttp://pha22.net/hotentry/で作成。
なかなかいいのが出てくるから困る(笑

まず、この記事を書こうと思った動機から。
言語、特にネットでの言語というのは急速に変化する。それは仕方のないことだけれど、あらぬ方向に変化したり、根本的に変質しかねないところへ言ってしまったりする。
重ねて言うが、変化自体は私は否定しないし、あえておかしな言い回しを楽しむことさえある。しかしながら、その変化がおかしな事態を招くのならば、ネットの隅に意見を書きたいと思う。

ということで、最近気になるオタクという言葉について思うところを、徒然なるままに書いていこうかと。

まず、オタクって何なのかと言う話。
本来、オタクというのはアニメオタクがその言葉の発生源と見られている。
その証拠にと言うのも何だが、幼少時から鉄道が趣味であった私は、父親の鉄道雑誌を見ていたが、鉄道オタクという呼称を見た記憶は全くない。つまり、ネット上か全く関係のない分野のメディアで発生した可能性が高い。

オタクという呼称の前にはマニアやファンがある。
一例として、野球をあげてみよう。
野球ファン・野球マニア・野球オタク。
野球オタクだけ違和感がないだろうか?
ペヨンジュンファンはいれど、ペヨンジュンオタクはいないだろう。
このように、ファンとくっつけられる言葉に、オタクをつけるとおかしい場合がある。
つまり、これはファンやマニアと違って、オタクという言葉には特殊性があることの表れではないだろうか。

また、オタクと聞いてどういう印象を持つだろうか。
言い換えるならば、ファンとオタクの印象の差はなんだろうか。
ファンというのは、どこにでもいる。ちょっと好きであれば、ファンを名乗る資格はある。しかしながら、オタクとなるとそうそう名乗れるものではない上に、ジャンルが限られる。
しかも、近年はマスコミの報道でその意味合いが強くなっているが、社会的には否定的な意味合いを持つ。

ここまで、オタクという言葉の印象をつかんできたが、改めて分類してみよう。
ファンというのは、単なる好きな人のことである。門戸は広く開かれており、誰でも自由になれる。
マニアはさらに進んだ段階。私の主観では、収集家のような意味合いも持つ。wikipediaの記事ではマスコミはファンと明確に使い分けしているとの指摘もある。
オタク
になると、対象の人数がぐっと減る。それは、適用できるジャンルの狭さ、オタクと呼べることのできる資格に由来する。

さて、ここで鉄ちゃん(鉄道ファンの別の呼び方)である父親のたとえ話をしてみよう。
父や私のようなものが鉄道ファン。(注:このあたりは定義付けはほとんどしない)
次にマニアだが、ある人は(注:名前失念)ある蒸気機関車の形式(注:形式失念。ただしCテンダーであるので、D51ほど大量生産はされていない)の車両の経歴を全て言える。これがマニア。
最後にオタクだが、あるところに貨車(注:この貨車は貨車全般の意味)を作ったモデラーがいた。その貨車の番号を見て、オタクが「この(番号の)貨車は北海道でしか使用されていない。だから、北海道仕様にするべき」と言った。そして、この人に「どうせ貨車ぐらい」と言うと顔を真っ赤にして怒る。

私は、このたとえ話を聞いて納得した。解説を加えると、
マニアはある程度の知識を必要とする。常人であれば、このあたりでも感嘆する。
さらにオタクは、あり得ないほどの知識を持つ。しかも、その分野に対して偏執的でもあるが、逆に言うとそうでもない限り膨大な知識が覚えられない。


さて、嘆きがないので、嘆くと、
キモオタとネットで言う人がいるけれど、オタクがキモイのは当たり前。なぜわざわざキモイことをことさら強調するのか理解できない。
ちなみに、私はオタクとは到底呼べないものではありますが(知識量で)、キモイのは否定しませんよ。

そして、オタクがあまりにも軽くなりすぎたこと。
少しでも知識があれば、オタク扱い。私としては、メディアがオタクをことさら取り上げたことによって、新参が大量に流入(私もですが)。結果として、以前の定義としても、あるいは現実から考えた基準からも、オタクの水準が下がったように思える。
また、メディアがオタクの派生形を多数作ってしまったため、オタクが何であるのかという定義がすこぶる曖昧になった。

幸か不幸か、オタクが軽くなり広く知れ渡ったため、この世界に入ってくるもの(たとえば私)や地雷を踏んで派手に爆発したものもいる。
しかしながら、オタクの本質は知識量の点でそれほど変わっていない。
ゆえに、オタクのテリトリーにうかつに踏み込んで自爆した人たちの例を、次回見ていこうと思う。
タイトルはホッテントリメーカーより。こういった、インパクトのあるタイトルが出てくるので、非常に便利でおもしろいサイトです。

さて、私は昨日の北京オリンピック開会式を最初から最後までNHKの中継で見た人です。
他には、接続障害に見舞われながらも2チャンネルの実況版に行ってみたり。

第一印象を言いますと、マスゲームはクオリティが高い
社会主義国家は本当にマスゲームがお好き。しかしながら、その点、マスゲームはお家芸と言えます。
個人的にはこの開会式は中華帝国の復活を表しているのではないかなと思ったり。私としては、中華帝国の(にわか)崇拝者でもあるので、非常におもしろかったです。

記憶に残っている開会式の映像をつなぎ合わせると(記憶なので少しいい加減)、
まず、最初の鳥の巣へ向かう足跡は、まさに天帝を表しているのではないでしょうか。天帝が降臨した、あるいは天帝が認めた開会式を表していると解釈しました。
次の五輪のマークは、三皇五帝の五帝を表すというのは苦しいですかね。

そして、最初のマスゲームである、太鼓の演奏になるわけですが、マスゲームを見ていると、マスゲームが皇帝の遊びにしか見えないんですよね。皇帝が、音楽を奏でさせているようにしか見えないわけです。

ここで、中国の発明「紙」です。

次に、中華帝国成立の少し前、孔子の時代になります。
少し話がそれますが、流れから考えると上の太鼓の演奏は、春秋時代以前かもしれません。
元に戻って、出てきた人たちはどうやら、論語の文章を唱えているようです。
竹簡を手に持ち、大勢の人が自分の教えを唱える光景は、孔子を喜ばせるでしょう。
ちなみに、ここで服装をチェック。この時代の人々はズボンをはいていません。はいているのは騎馬民族で、この時代では、そういった異民族は文化を受け入れない野蛮人というわけです。

さて、直後に活版印刷が出てきます。
「和」と言う文字の変遷を追ったみたいですが、願わくば甲骨文字も出してくれたりするとうれしかったです。

孔子の弟子達が退場すると、今度は輿に乗った人形を操る人たちと、兵士(に扮する)人たちが出てきます。
時代の流れから言うと、三国志演義(成立自体はあとですが)のようですが、NHKは沈黙。解説しろ、解説!
一緒に見ていた父曰く、これは京劇がモチーフらしく、服装に関してはもっと年代があとになるようです。

その後、舞台は唐の時代に移り、女の人が舞います。
たぶん、舞っているところは絹織物をイメージしたのでしょう。舞台には茶も映し出されます。

そして、次に出てくるのが、鄭和船団。
ここで、発明品「羅針盤」が登場。

そして、清王朝。
きらびやかな女官達が踊りますが、このころになると服装も西洋風のものが出てきます。

そして、最後が現代・未来へとつながっていくわけです。


 ここが変じゃない?中国マスゲーム

清王朝は出てきましたが、異民族の影が薄いです。
特にかわいそうなのが、元。モンゴル帝国は、あと一息でヨーロッパすら征服できたはずなのです。シルクロードにしろ、元の方が往来は活発で、東方見聞録を書いたマルコポーロは元の頃の人です。

世界三大発明。
ルネサンスの三大発明が、中国の発明の改良というのは有名な話ですが、「活版印刷(紙)」・「羅針盤」ときて、あと一つは?
そう、「火薬」です

中華帝国復興の雄、毛沢東はいずこへ?
毛沢東を出すと、あまりにもプロパガンダっぽくなってしまいますが、彼の業績は英雄と呼んでいいものでしょう。(文化大革命など、さんざんなこともたくさんやってしまいましたが)


で、現代編ですが、このあたりから考えたことだけを上げていこうと思います。
まず、目につくのがプロパガンダっぽさ。
自然を大切にしましょう、とアピールされても、昨今の乱開発や公害問題を見ていれば皮肉か質の悪いジョークにしか見えない。
子供達が民族衣装を着てうんぬんかんぬんも、チベット問題や少数民族の問題を見れば、民族融和をアピールしたプロパガンダにしか見えない。また、民族衣装を着ていても、まあ、たいていは漢民族でしょう。
そして、やたらと子供を出すのもどうかと思います。
政治的きな臭さのある場所に、子供を出して、天真爛漫さや無邪気をアピールする手法は、えげつないとも言えます。


まとめると、歴史アトラクションとしてはおもしろかったですが、現代にはいると政治のにおいがして、私としては評価が大幅に下がりましたね。

ちなみに、ロシアとグルジアが軍事衝突したのは、ロシアなりのジョークですかね?

それから、NHKはまじめに仕事してください。何をやっているかなんていいんだよ!見ているんだから!。ほしいのは解説だよ、か・い・せ・つ!
選手団入場も、画数順というなら、漢字を出せ漢字を!NHKも非常に残念な結果でした。
さてさて、この徒然コーナーですがしばらくやや飛躍しつつ、つながっていきます。
三国志系の記事はしばらく貯めますので、ご了承下さい。

本来だったら、このメディアの話も深くふかーく掘り下げられるのですが、それはこのコーナーの趣旨にあわないのでやめます。
今回は、インターネットの特徴と考えるものを、良い側面と悪い側面から見ていこうと思います。

では、インターネットの特徴とは何か。
インターネットできることを考えると、自分の知りたい情報を調べられる、あるいは自分から情報を発信できると言うことにつきると思います。
つまり、手軽に情報の送受信ができると言うこと。これがまず大きな一つの柱です。
そしてもう一つは、上の特徴を満たしている現状は何なのか?
ずばり、情報が恐ろしいほど多方向につながりを持っていると言うことです。これがもう一つの大きな柱です。

この二本の柱は切っても切れない関係にあるので、一緒に見ていくことにしましょう。

さて、まずはインターネットの負の側面から。
先程上げた二つの特徴がマイナスの方向に働くことを考えてみます。
手軽に情報の送受信ができると言うことは、平均的な情報の質が低下すると言うことです。
今までは、出版社なり放送局なりが送信する情報の取捨選択を行い、上質な情報(例外もありますが)を我々は受信していました。ところが、今日においてブログやホームページが個人で簡単に開設できるようになり、たとえばここのような愚にもつかない情報が発信されているわけです。つまり、発信される情報の選別ができなくなっています。

これによって、今までなら当然淘汰されるべき質の低い情報が蔓延するようになりました。
たとえば、最近話題になったものを上げるとすれば「恋空」。
正直言ってしまうと、なぜこれが流行したのかが理解できません。ネットでも無料で見られるとのことで、しばらく前に半分ほど読んだのですが、若造の私ですらおかしいと気づくところがたくさんありました。(気が向いたら、恋空単体で記事を作るかもしれません)
また、事実と異なる多数の記述に関して批判するサイトも存在しますし、流行具合に比べて有識者の方々の反応は冷ややかなものです。(当然流行が一部の層に限られていることもあるでしょう)

おもしろいことに、流行というのは情報の品質によらずやってくるようで、ある事物に関する情報量が一定に達すると、あとは勝手に流行とまでは行かなくとも、ある程度の成功段階まであがっていくようです。これに関しては経験則ではありますが、皆さんもあるのではないでしょうか。知り合いが「〜〜って、おもしろいよな」や「〜〜のここの話がさ」などと話していたりすると、気になりませんか?私は、こういった例が、流行は情報量によって決まることを示しているのではないかと思います。


次に、インターネットの有用なところを見ていきます。

負の側面で、インターネットに流れる情報は取捨選択されないと言うことを書きましたが、これを逆に考えると、特定のものに束縛されずに情報が流れると言うことになります。
つまりは、検閲や規定と言ったものを通っていないので、より真実に近い情報が流れてくることがあると言うことです(お隣の国のネットは違うようですが)。
これによって、不正の告発や業界のしがらみのとらわれない情報の発信が期待できます。

また、情報が多方向につながることと、インターネットは回線があればどこでもつながることを考えると、今までは考えられなかったような集団が発生してくるでしょう。
と言っても、すでにネット上でコミュニティが多数できているわけですから、これは事実です。
ネットがない時代に、日本の北端と南端の人が同じ趣味について気軽に語りあうことができましたか?ネットのない時代に、愛媛県の学生と東京都のサラリーマンが、統一された意識によって活動(抗議活動でも署名活動でも)をできたでしょうか?(ちなみに地名に深い意味はありませんので)


こう考えてくると、ありきたりではあるけれど、モノの二面性を見ることができます。
同じ性質でも、悪いこともあれば良いこともあると言うことです。
そして、まとめになりますが、インターネットを使用することにおいて、大切なことはこの二面性を考えながら、正しい情報を選び取ると言うことです。
本当に注意してほしいことなのですが、正しい情報を選び取れないと、大変な事態に陥りかねませんよ。
事故当日は、全然関係のないところにいた遜色急行です。しかしながら、他人事とは思えない、あそこのエスカレーター。なんと言っても、コミケで何度もお世話になっているので。

追記と訂正をしました。

あれだけの混雑で死者が出なかったのが不幸中の幸い。怪我をされた方の一日も早い回復を願っています。

さて、記事の引用から

エスカレーター事故、重量オーバーで停止・逆走か

8月4日12時0分配信 読売新聞

 東京都江東区有明の東京ビッグサイト西展示棟で3日、上りエスカレーターが急停止した後に逆走し、乗っていた10人が軽傷を負った事故で、当時、エスカレーターの各ステップの多くに3人以上の客が乗っていたことが、警視庁東京湾岸署の調べでわかった。

 1段あたりの最大重量は130キロで、総重量が7・5トンを超えると停止するように設計されており、同署は、重量オーバーで停止した後、重みで下り始めた疑いがあるとみて、会場内の安全管理体制を調べている。

 エスカレーターを製造した「日本オーチス・エレベータ」(中央区)などによると、事故機は1階から4階まで直行し、長さは約35メートル。幅102センチのステップが84段あり、建築基準法に基づいて、1段あたりの最大重量や総重量を設定している。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080804-00000019-yom-soci

NHKには、事故を偶然撮影した映像があり、ニュースでたびたび流しているのでそちらも確認してほしい。もちろん、ネットでも視聴可能。たとえばこれ

ニュース映像を見てもらえればわかるが、正規の下りエスカレーターに比べて、逆送したエスカレーターは乗っている人たちの明らかに密度が高い。ちなみに、下りエスカレーターでさえ、ほとんど1段につき2人ずつ乗っているような状況だ。

これで、記事の「各ステップの多くに3人以上の客が乗っていた」は裏付けがとれ、事故の原因の一つでないかと疑われる。
しかしながら、エスカレーターの先頭が上に着く前であり、本当に定員オーバーだったのかという疑問の余地もある。
また、事故というのはいくつもの要因が重なって起こるのが普通だ。つまりは、この状況を導いた間接的な要因が多くあるはずだ。それを考えていきたいと思う。

証言;ビッグサイトのエスカレーター事故についてというタイトルで、先頭にいた方の証言がある。
これを見ると、殺到という表現はオーバーであったり、文章表現からイメージされるような、走ったりもみ合ったりする会場の様子と、現実の整然とした様子が大きく食い違っている。
この点に関しては、ニュースの映像からも裏付けがとれる。

1.エスカレーター
ニュースを見たり、ブログを見たりしていると、なまけものの憂鬱。と言うブログに、おもしろいことが書いてあった。
いわく、「130kgが84段なら、総重量が10.9トンで7.5トンより重いじゃないか」というものだ。
事故現場はイベントに特化した場所だ。全段に2人ずつ乗ると言う簡単なことが予想できなかったのだろうか?
しかも、平均体重情報館によれば日本人男性の平均体重は約65kgとのこと。2倍すれば1段あたりの制限重量に当たる。制限が日本平均というのはあまりに安直ではないだろうか。本来ならば、安全を考慮して、最大重量をもう少し引き上げるところではないのだろうか。

これらを考えると、設計が正しかったのか?また、購入・設置した機種がこれで良かったのか?と言う疑問が残ってしまう。
また、停止した際にブレーキがかかるようになっているはずだが、それがなぜ逆走を始めたのか、そのあたりの原因も調査してもらいたい。

2.会場の安全管理
事故当時、エスカレーターには「各ステップの多くに3人以上の客が乗っていた」ことは上で裏付けしたが、逆に言うとなぜ3人も乗れたのか?
本来ならば、1段につき2人までと乗る際に制限をかけるところだ。
これに関しては、警備員もしくは誘導係がいたようだが、詳細な配置・状況は不明。
詳細がどうあれ、異常事態をそのまま放置したのだから、問題がなかったとは言えないだろう。

1段に2人ずつ乗るのは常識だろうと言っている人もいるが、イベントでの、特に開場直後の参加者の心理状況は、異常な状態にある。典型的な例が、バッファローダッシュ。
私自身、イベントではないがスタッフとして目撃したことがある。走って結果が変わるものではないにもかかわらず、走ってくる。
走って変わらなくても、このような状況が発生するのに、走ると結果が変わるとなったらどうなるだろう。当然のことながら、みな走るはずだ。
つまりは、特にイベント開幕直後は、会場に人が殺到する上に常識は通用せず、ある種の独自ルールが適用される。その状況をわからずに、1段2人までと言うのは、全く無意味だ。
念のために言っておくと、バッファローダッシュは心理状態の例としてあげたものであり、事故当時はエスカレーター内で歩く人すらいなかったのが、上記において証言されており、実際に走ったのは事故発生後である。

まとめると、
重量オーバーが事故原因の一つではないだろうか
・イベントにおいて、常識では考えられない人が乗ったのはある意味当然
・かなりの人が乗っていても整理や規制をしなかった会場の安全管理は?
・イベント会場であるのに、エスカレーターの重量制限が貧弱
・参加者は1段に3人以上乗るということをのぞいては、何ら落ち度はなかったようだ

ということだ。重量オーバーが原因であろうと固まってきたようだが、それを参加者のせいにするにはあまりにも安直な上に、再発防止には到底ならないと思える。